スタンフォード大学の卒業式のスピーチでも、スティーブ・ジョブズ氏は自分が起業した会社から解雇された事に触れていまが、この出来事は当時でも全米に衝撃を与えたできことです。
彼がアップル社から解雇されることになったのは、ジョブズ氏自身がアップル社に来てほしいと直接頼み込んでCEOになってもらったジョン・スカリー氏との対立が、直接の原因と言われています。
ジョン・スカリー氏は、アップル社に来る前はペプシコのCEOで、同社の業績を著しく伸ばした名経営者と言われていました。
この記事では、そのジョン・スカリー氏が当時を振り返って、あの解雇劇の実際はどうであったのか語っているのを、本人動画、英語全文、日本語訳で紹介します。
◇◇◇Quote◇◇◇
I did not have the breadth of experience at the time to really appreciate just how different leadership is when you are shaping an industry
(私には当時、産業を創り出そうという時のリーダーシップは全く違う、
という事を理解する経験と能力がなかった。)
◇◇◇In the context◇◇◇
最初に、文脈を理解することはいつも大切です。 私はCEOとして雇われました。 でも、実際はスティーブのパートナーとなるように採用されたのです。 私はコンピューターの作り方は知りませんでしたし、スティーブは、当時の年齢では会社を運営するという事を知りませんでした。 アップルはリサで失敗しましたし、アップル3でも失敗しました。 アップル2は既に更改期に来ていました。
The company needed cash flow in order to finance the development of the Macintosh, which wasn’t expected to be profitable for several years even after it was launched. I came a year before, it was ready for market. And Steve focused on creating what Apple was going to be in the future. My job was turn the Apple 2 around and get it generating as much cash as possible, which we did very successfully.
会社にはマッキントッシュを開発するキャッシュ・フローが必要でした。 マッキントッシュは、発売後も数年は利益が見込めませんでしたし。 私はその1年前に会社に入りました。 既に、市場に出される準備が出来ていました。 スティーブは、将来、アップルが成りたいことに集中していました。 私の仕事はアップル2を立て直し、出来るだけ多くのキャッシュを生み出させるようにすることでした。 それは、とても上手くいきましたが。
The thing that let to the huge disagreement, cause it’s,, I am most surprised that people never asked the question. How could two individuals like Steve Jobs and I who was supposedly inseparable, we were together all the time, we were great personal friends, how could we end up in one of these amazing celebrated crashes?
私たちが大きく対立したのは、それは、、この質問は誰も聞いてくれないので驚いているのですが、スティーブと私のように、本来は離れることのできない、いつも一緒にいて、個人的とても良い友人だったのか、どうして誰もが知っているような、驚くような激突になってしまったのか? という事です。
And it was pretty simple. I came from a public company accountability to a board to shareholders. And when the Macintosh office, which was the next version of the Mac that was introduced in 1995 failed., Steve went into a deep depression over it, because this was really important to him. And it really wasn’t his fault. It was all about Moore’s Law. The Moore’s law is a very predictable, consistent law that says that every roughly 12, 18 months, the number of transistors doubles and therefore the performance, processing power of a computer doubles.
それは簡単です。 私は、役員会や株主への説明責任が求められる公開企業から来たことです。 そして、1995年に発表された次世代マッキントッシュのオフィスが失敗したとき、スティーブは大変に落ち込み見ました。何故なら、それは彼にとって、とても大切だったからです。 でも、その失敗はスティーブの責任ではないのです。 全ては、“ムーアの法則”なのです。 “ムーアの法則”は、将来を予測できる一貫した法則で、それによると、だいたい12~18か月で、集積回路は2倍になる、よってコンピュータの処理能力も2倍になる、というものです。
And the reality was that the Macintosh office just was not powerful enough. That doesn’t deal with Apple, that had to deal with the stage of where the microprocessor technology was. It just couldn’t do very much. It was being called a toy. It was being ridiculed inn the market.
そして現実には、マッキントッシュ・オフィスは、パワーが充分ではなかったのです。 それはアップルとは関係ないところ、マクロ・プロセッサー技術の問題なのです。 だから充分に機能しませんでした。 おもちゃ、と言われたり、市場から嘲笑を浴びたりしました。
We’d just introduced laser printing to print beautiful fonts. It was slow. And Steve was discouraged and so Steve came to me and he said “I want to drop the price of the Macintosh and I want to move the advertising shift a large portion of it away from the Apple 2 over to the Mac.
ちょうど、綺麗なフォントをプリント・アウトするのにレーザー・プリンターを発売したところでした。 それは、非常に動作が遅かった。 スティーブは、とてもがっかりして、私のところに来て言いました。“マッキントッシュの価格を下げたい。 そして、広告の大部分をアップル2からマッキントッシュに移したい”と。
And I said, “Steve, it’s not going to make any difference. The reason the Mac is not selling has nothing to do with the price, or with the advertising. And if you do that, we risk throwing the company into a loss. ” And he just totally disagreed with me.
And so I said, “Well, I am going to go to the board.” And he said “I don’t believe you’ll do it.” I said, “Watch me!”
So, we went to the Board of Directors. And we each presented our case, And the Board met with us each individually, and then they assign the vice-chairman, third co-founder of Apple, Mike Markkula, to go and study the questions and talk to the various executives and the engineers, and then come back not to me, not to Steve, but come back to the Board and give his report.
それで、私たちはボード・メンバーのところに行きました。 私たちは、それぞれの主張をしました。 そして執行役員は、それぞれ個人面談をし、副議長でアップルの第三の創業者、マイク・マクーラを、この問題を調査する責任者として任命しました。 彼は、多くのエグゼクティブやエンジニアと話し合った後、私のところでもなく、スティーブのところでもなく、ボードにレポートを持ち帰ってきました。
And Mike Markkula did that. And about seven or eight days later, he came back to the board. He said,” I agree with John. I don’t agree with Steve.” And so the board then brought Steve and me together and they said “Steve, we want you to step down from running the Macintosh division, not get fired. You’re still chairman. You’re still the largest shareholder, but not get fired.
マイク・マクーラがしたのです・ そして7日か8日後、ボードに戻ってきて、“私はジョンに同意します。 スティーブには同意しません。”と報告しました。 そこで、ボードは、スティーブと私を一緒に呼びこんで、こう告げました。“スティーブ、私たちは貴方にマッキントッシュ部門の責任者を辞めてもらいたい。 解雇ではありません。 貴方はまだ、ボードの議長だし、最大の株主だから、解雇ではなんですよ。”、と。
Now let’s put it in the hindsight. The other part of your question. What would have happened if we hadn’t had that showdown?
What I didn’t appreciate at the time, I think I do now, is how emotionally, how deeply set the values are of a founder who was on the pursuit of a noble cause and absolutely believes, passionately believes that they are going to change the world.
さて、“今、振り返れば”という話をしましょう。 それが貴方の別の質問ですし。 そういう劇的なことがなかったら、どうなっていなか?という。 私が当時、評価していなかったのは、そして、今はとても評価しますが、どれだけ感情的に創業者が“世界を変えるんだ”と心から信じて、全身全霊で崇高な目的を追いかけているという価値が分からなかったのです。
And here is this professional executive coming in and thinking about well how are the shareholders going to react, how the analysts going to react, what do we do as a public corporation. And I did not have the breadth of experience at the time to really appreciate just how different leadership is when you are shaping an industry as Bill Gates did or Steve Jobs did versus when you are competitor in an industry in a public company where you don’t make mistakes because if you lose, you’re out.
そういう時に、エグゼクティブの経営の専門家がやってきて、“株主はどう考えて、どう反応するか”とか、“アナリストはどう反応するか?”、“上場企業としてどうするか”ということを考えた訳です。 そして当時、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズがしたように、産業を創り出そうという時のリーダーシップは、単に市場に競争者として参加していて、“失敗をしない、もし、赤字を出したらお終い。”という世界と全く違うという理解をする経験と能力がなかったのです。
So, coming from a completely different world that I now understand, but I didn’t that at the time. I really blamed the board, because I think the board understood Apple before I came. They understood Steve. They knew what my experience was and what it wasn’t. And I really believe there could have been a solution to keep Steve and me working together, because we were very good friends up until that point.
ですから全く違う世界からやってきて、今はこの世界を理解しますが、当時は理解していませんでした。 私はボードを非難したい。 何故なら、彼らは私が来る前からAppleを知っていたのですから。 スティーブを理解していたのですから。 彼らは私の経験が何で、何を経験していないか知っていたのです。 私は、本当に、私とスティーブが一緒に働けるような解決策があったと思います。何故なら、私たちはその時まで、本当に良い友達でしたらから。
And I had no interest to take over his company. I’m in fact I said to Steve, “Hey, Steve. This is your company. It’s not mine. You can have it back. But I’m not going to stand here as a public company CEO and have us make decisions like that without having the board about, just not going to do it. ” So, my sense is that there could have been a different outcome.
私は会社を乗っ取るつもりは全くありませんでした。 実際、私はスティーブに言ったのです。“スティーブ、これは貴方の会社ですよ。 私のではありません。 取り戻すことができますよ。 でも、その時は公開企業のCEOとして私は続けられませんし、あのような意思決定をボードを排除して決断はできませんが。” だから私の感覚としては、あの結果とは違うやり方があり得たと思います。
I feel most badly though was after 10 years, I was at the company and I wanted to go back to New York where I was from and why I didn’t go to Steve Jobs and say “Steve, let’s figure out how you can come back and lead your company.” I didn’t do that. There was a terrible in my part. I can’t figure out why I didn’t have the wisdom to do that. But I didn’t. And as life has it, shortly after that, I was fired because I refused to license the Macintosh technology, because I thought it would drive Apple towards bankruptcy.
私が本当に後悔するのは、10年後、私は会社にいましたが、私の出身のニューヨークに帰りたいと思いました。そしてスティーブのところに言って“スティーブ、どうしたら貴方が会社に戻ってきて、会社をリードできるようになるか考えましょう。”と何故、言わなかったのか。 私は、そうしませんでした。 これは、私の側にひどいところがあったのです。 私はどうして、そうするべきという知恵がなかったのか分かりません。 でも、しなかったのです。 そして人生がそうであるように、今度は私が解雇されました。マッキントッシュを他社にライセンスすることを拒否したからです。 私は、それはアップルを倒産させると思っていました。
And, so, I had the experience of learning about entrepreneurialism about visionary founders and the great talents that Steve had. But he was not a great executive back in those early days. This great Steve Jobs that we know today is maybe the world, you know, the greatest CEO of certainly of our era, he learned a lot in those years in the wilderness in NeXT, and building Pixar into a great company. And when he came back to Apple, he was obviously a very seasoned, you know, much more experienced executive.
私は、起業家精神やビジョナリーな創業者や、スティーブの素晴らしい才能を学ぶことが出来ました。でも、最初のときは、彼は素晴らしいエグゼクティブではありませんでした。今の私たちが知っている偉大なスティーブ・ジョブズ、私たちの時代の最も偉大なCEOは、NeXT社での厳しい経験やPixar社を素晴らしい会社に育てる過程で沢山のことを学んだのです。そしてAppple社に戻ってきた時、明らかに彼は沢山の経験をした、熟練のエグゼクティブになっていました。
And I think that actually in the last 20 years, Ronnie said I’m a professional executive, Ronnie, actually for 20 years, I haven’t been a professional executive. I tried to stay off the radar screen, but I actually own a number of companies. I’m an entrepreneur. I don’t run any of them anymore. But I mentor talented CEOs. And I think that those lessons that I got along the way, going back to your questions, are the ones that have shaped my life for the last 20 years.
そして、実際、この20年間、ローニーは私をプロフェショナル・エグゼクティブと紹介してくれましたが、私はプロフェッショナルなエグゼクティブではありませんでした。 注目を集めることを避けてきたのです。 でも、多くの企業を所有しています。 私は起業家です。 もう、自分で経営したりはしていません。 でも、才能のあるCEO達のメンターをしています。 そして、これらの過程で学んだことが、貴方の質問に戻ると、私のこの20年の人生を形つくったと思います。
That’s a great question and great response.
よい質問と、素晴らしい回答でした、、、
◇◇◇Clip End ◇◇◇
「when you are shaping an industry」というのは、とても大事な概念で、スティーブ・ジョブズ氏とジョン・スカリー氏の、全米を駆け巡った解任劇があって、シリコン・バレーに強く印象付けられたものです。 これは、つまり「新しい産業を作り出そうとしている時は、平時の経営ではダメなんだ」ということです。
この「Shaping the Industry」という言葉は、ジェフ・ベゾス氏も創業時に良く使って、利益還元を求める株主に対して、設備投資を優先することを説得しています。
関連動画)
Amazon創業者 ジェフ・ベーゾス: 「転職を決めた僕のマインド・セット」
また、、その後も、シリコンバレーから、事業モデルが確立していない段階でGoogleやFacebookが上場しますが、この「Shaping industry」という概念が浸透していなければ、上場は出来なかったでしょう。
スティーブ・ジョブズ氏とジョン・スカリー氏との間の解任劇は、本人達にとっても大きな出来事でしたが、シリコン・バレー全体、又は、アメリカの産業全体に大きな影響を与えた出来事でした。
この「Shaping the Industry」という言葉は、ジェフ・ベゾス氏も創業時に良く使って、利益還元を求める株主に対して、設備投資を優先することを説得しています。
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また、、その後も、シリコンバレーから、事業モデルが確立していない段階でGoogleやFacebookが上場しますが、この「Shaping industry」という概念が浸透していなければ、上場は出来なかったでしょう。
スティーブ・ジョブズ氏とジョン・スカリー氏との間の解任劇は、本人達にとっても大きな出来事でしたが、シリコン・バレー全体、又は、アメリカの産業全体に大きな影響を与えた出来事でした。
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