2018年4月7日土曜日

Starbucks 創業者 ハワード・シュルツ (1) : 「7 歳での極貧生活がスターバックス社のあり方を決めた」

Starbacks創業者のハワード・シュルツ氏が、スターバックスを創業し、他に真似のできない独特の企業文化を築きあげるのに、幼少期の極貧の生活が大きく影響していると語っています。 今回は、そんな彼のスピーチを本人動画・英語全文・日本語訳で紹介します。

ハワード・シュルツ氏は、1953年生まれで。NYのブルックリン育ちです。 ブルックリンは現在でこそ開発が進んで、一部は高級住宅地ともいわれるエリアになりましたが、彼が住んでいた幼少期の頃は、極貧の世帯が集まる地域でした。

今回は、Quoteとして一言をピックアップしないで、全体の物語を書いておきます。 又、 めずらく2回に分けてアップしますが、 どちらもぜひ、ご覧ください。 

彼のこのスタンスがなければ、コーヒーショップという差別化の難しい業態を、しかも高価格で、世界ブランドに成長させることはできなかったのではないでしょうか?

最近でこそ、彼はスーツを着ることが多くなっていますが、 このスピーチでは、カジュアルな服装と相まって、彼の物腰の低い、真摯な姿勢が伝わってきます。

特に、彼は、会社の従業員のことをEmployee(被雇用者)といいません。 our peopleとか、people who work for the companyという表現を使います。 従業員を大切にして、それぞれの個人を尊重しようとう彼の姿勢が、言葉使いにも見えてきます。





◇◇◇ Context  ◇◇◇
Thank you. Thank you, Dean Lien for that wonderful introduction. I rally appreciate that. You gave basically my speech, so I am going to have to start from scratch. 

リーン学部長、素晴らしい紹介をありがとうございます。 本当に感謝します。 基本的に私のスピーチを話されましたので、最初から話さなければいけません。 


First off, I’m honored and humbled just be in the same sentence with Coach John Wooden. When he called and asked me, whether or not I wanted to be part of this inaugural award. I was really moved. And to be honest with you, I want to think about being on the stage with him tonight. It’s tough to think that a kid from Brooklyn, New York who has built a coffee company is going to be talking about leadership, and integrity and ethics and values with John Wooden. So, I am honored to be associated with the Coach and obviously with UCLA.

最初に、John Wooden 監督と同じ空間を共有できて大変に光栄です。 彼が電話をしてきて、この就任叙賞式に参加したいかを尋ねられた時、大変に感動しまし。正直にいうと、今夜、ここで彼と同じステージにいたいと思いまいました。 ニューヨークのブルックリンから来てコーヒー会社を作った小僧が、John Wooden氏と一緒にリーダーシップや一貫性、倫理や価値観について話すとことになるとは、考えられませんでした。 ですから、監督とご一緒できることを光栄に思いますし、UCLAにもです。


I don’t want to give a speech. I want to really try and just have a conversation with you about trying to build a different kind of company, and really how I see the world in terms of commerce capitalism and a social conscience. And when I think back on the last 20, 30 years of the growth and development of Starbucks, it goes back to an initial understanding of the fact that we wanted to build a different type of business, not better than anyone else, but philosophically very different.

私はスピーチをするというより、どのように違った形の企業を作りたかったか、 そして商業資本主義や社会的両親について、どのように考えているかを会話形式に話したいと思います。 20年とか30年の過去のスターバックスの成長と発展を振り返ってみると、私たちが今までと違ったタイプの事業を作りたかった、 他の誰かより良いという意味ではなく、フィロソフィーとして違った会社を作りたかった、という最初の認識に戻ることになります。


And we were criticized for it fairly early on, because shareholder value is at stake. So, it began with the premise that we wanted to build a business that would balance the fragile issues of making a profit and being a benevolent employer and a benevolent part of the community, in a sense balancing the fragility of capitalism and a social conscience.

私たちはそのために、かなり最初から批判されることになりました。 それは、株主利益を毀損しかねないからです。 ですから、最初から前提としていたこと、私たちが企業として利益を出すことと、慈善的な雇用主であること、地域コミュニティーに慈善的であることの、繊細な問題のバランスがとれる企業を作りたいと思ったことから始まります。 資本主義と社会的良心のバランスをとるという意味で。


And in 1987, when we kind of put that in place, we had 11 stores, 100 employees and we were a private company that was losing money. we were not venture backed yet. But we had this about not only creating a national brand around coffee, but really in a sense building the kind of company that perhaps our parents never got a chance to work for.

1987年の時点で、それを実行に移したとき、11店舗、100人の従業員がいる、赤字続きのプライベート(非公開)企業でした。まだベンチャー・キャピタルのサポートはありませんでした。でも、私たちは単にコーヒーに関する全米のブランドを作っているだけではなく、本当に、私達の両親が働くことができなかったような会社を作りたいと思っていました。


And that’s linked directly to my own background as the Dean had mentioned. I grew up in Brooklyn New York and federally subsidized housing. My dad never made more than $20,000 a year.  And I kind of saw firsthand the fracturing of the American Dream when there wasn’t a lot of resources, not a lot of money and a lot of issues associated with that.

そしてこのことは、学部長が述べられた私のバックグランドに、直接、結びつきます。 私は、ニューヨークのブルックリンで、政府から補助を受けた貧困者住宅で育ちました。 父は、年収2万ドルを超えたことはありませんでした。 そして私は、社会的なつながりや充分なお金がなく、それから沢山の問題が巻き起こっているとき、アメリカン・ドリームが崩壊しているのを、最初から目の当りにしました。


Most specifically, witnessed something when I was a young boy at the age of seven. And you think about the age of seven, you know can anything happen at seven years old that’s going to shape your entire life.  But in my case, it certainly did.

特に私が7歳のときに、ある出来事が起こりました。 7歳といえば、全ての人生を決めてしまうような出来事が起こるような年齢です。 そして私の場合、確かに起こりました。


I came home from school at seven years old, my father was spread on the couch with a cast from his hip to his ankle. And what happened is he was a truck driver and had a terrible job. He had a series of bad blue-collar jobs. But this was one of the worst.

7歳の時に私が学校から帰ると、父は腰から足首までをギブスで固められてカウチの上に横たわっていました。何が起こったかというと、彼は配達トラックの運転士で、ひどい職についていました。 多くの、ブルー・カラーの仕事についていましたが、その時のものは最悪でした。


He was a delivery driver, picking up and delivering cloth diapers before the invention of pampers. He fell on a sheet of ice in a winter, a month of March, broke his hip and ankle. And he was in a cast. And in those days, if you were an uneducated blue-collar worker, there was no workmen’s compensation. You were out of work and it was, it was not much to go around.

彼は配達トラックで、布製のおむつを集荷、配達していました。 パンパースが出てくる前です。 3月の冬のある日、彼は氷の張った上で転んでしまい、腰と足首を骨折しました。 それで、ギブスをしていたのです。 当時、学歴のないブルー・カラーの作業者には、失業保険などはありませんでした。 そして失業した時、なんとかする方法は殆どありませんでした。


And we were kind of left with the plight of working-class family with not a lot of help. And at the age of seven, I kind of saw what that meant. Now I never imagined, believe me, that one day I would help build and be part of a company that employed 200,000 people. But it did shape my values and lens in which I would see the world.

私たちは、ほとんど助けを得られない中で苦境の中に置き去りにされました。 そして7歳の目には、それが何を意味するのか目撃することになりました。 いつか20万人の従業員の会社を作ることに貢献するようになるとは、本当に想像もできませんでした。


So, when we were in a position in ‘87 to think about building the company, what we wanted to try and do was to build a company which nobody would be left behind. People would be valued in a sense. If we want to exceed the expectations of our customers, we first have to exceed the expectations of our own people.

ですから87年に会社の立ち上げを考える時期になったとき、誰も取り残されないような会社を作りたいと考えました。 みんなが価値を見出され、大切にされる会社。 顧客の期待を上回りたいなら、最初に自分たちの従業員の期待を上回らなければいけない


We couldn’t afford advertising. We didn’t have much, much resources. So, the equity of the brand from day one was built on the experience. And that experience came to life every single in our stores.

私達に広告宣伝費はありませんでしたし、リソースもありませんでした。 ですから最初の1日目からのブランドの資産は、「体験」の上に築かれたものでした。 その「体験」が、毎日の店舗で実際に行われていることです。

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